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曻地三郎さんが死去 107歳現役教育学者、日福岡市

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发表于 2013-12-1 10:09:56 | 只看该作者 回帖奖励 |倒序浏览 |阅读模式
曻地三郎さんが死去 「しいのみ学園」創設者 107歳現役教育学者、福岡市 [福岡県]

2013年11月30日(最終更新 2013年11月30日 13時36分)



世界一周旅行でのギネス登録に向けて意気込んでいた曻地三郎さん=2012年6月5日、福岡市南区の自宅で

 日本初の知的障害児通園施設「しいのみ学園」の創設者で、107歳の現役教育学者として知られた曻地(しょうち)三郎(さぶろう)さんが13-11-27日午後2時55分、心不全のため福岡市内の病院で死去した。福岡県内の男性で最高齢だった。自宅は福岡市南区井尻1の40の6。葬儀は近親者のみで13-11-29日に営まれた。喪主は養女の坪根(つぼね)ちかこさんが務めた。
 広島文理科大(現広島大)卒。小学校教師として大阪府で勤務していたが、長男が生後間もなく脳性まひとなったことから、福岡市に転居して九州大医学部で精神医学を専攻。次男も脳性まひとなったことから54年、私費を投じて同市南区井尻にしいのみ学園を創設。園をつくるまでの軌跡を描いた手記「しいのみ学園」はベストセラーとなり、55年には映画化もされた。
 2003年、西日本文化賞(社会文化部門)を受賞。特別支援教育や幼児教育に長年携わり、福岡教育大名誉教授や韓国・建陽(コニャン)大名誉教授なども務めた。95歳で妻子全員を亡くして以降は、「99歳までは助走、100歳からが本番」をモットーに4カ国語の勉強を開始。99歳になった2005年以降ほぼ毎年、世界一周講演旅行に出掛け、12年8月には公共交通機関だけを利用した「最高齢世界一周旅行者」としてギネス記録に認定された。
 手作りのおもちゃを使った幼児向けの知能遊びや、ラップの芯で作った棒を使って体操する独自の「棒体操」など健康増進法でも知られ、10年9月には福岡県後期高齢者医療広域連合の健康長寿マイスターに就任。シルクハットやちょうネクタイをトレードマークに健康増進法の啓発に努めた。12年2月、しいのみ学園理事・園長を退任した。今年も活動を続け、13-11月14日にも同県久留米市で講演。13-11-27日未明(約2時半~3時ごろ)に自宅で体の不調を訴えて入院、約12時間後(13-11-27日午後2時55分)に死亡した。

=2013/11/30付 西日本新聞夕刊=






        福岡教育大学名誉教授としての顕彰
             遺族に届けられます。
(叙位は、特に功績があった故人に贈られる位)
2#
 楼主| 发表于 2013-12-1 10:11:16 | 只看该作者

昇地三郎氏が死去、107歳 「しいのみ学園」を創設

昇地三郎氏が死去、107歳 「しいのみ学園」を創設

 知的障害児教育施設の先駆けとして知られる「しいのみ学園」(福岡市)を創設した昇地三郎(しょうち・さぶろう)氏が13-11-27日午後2時55分、心筋梗塞と心不全のため福岡市の病院で死去した。107歳。北海道出身。自宅は福岡市南区井尻1の40の6。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は養女坪根ちか子(つぼね・ちかこ)さん。

 旧制岩国中(現岩国高)出身で、広島文理科大(現広島大)卒。小学校や師範学校などの教員を経て福岡学芸大(現福岡教育大)教授だった1954年、脳性まひだった息子2人のために妻露子さん(故人)とともに私財を投じ、しいのみ学園を創設。経緯は映画「しいのみ学園」にもなり、各地での特別支援学級設置につながった。

 07年、広島大大学院教育学研究科などが優れた教育実践者に贈るペスタロッチー教育賞を受賞した。
3#
 楼主| 发表于 2013-12-1 10:15:59 | 只看该作者
昇地三郎氏が死去

2013年 11月 30日 11:28


                       
昇地三郎氏が死去

国内社会ニュース(共同通信)
(ロイター)

 知的障害児教育施設の先駆けとして知られる「しいのみ学園」(福岡市)を創設した昇地三郎(しょうち・さぶろう)氏が13-11-27日午後2時55分、心筋梗塞と心不全のため福岡市の病院で死去した。107歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は養女坪根ちか子(つぼね・ちかこ)さん。

 広島文理科大(現広島大)卒。小学校や師範学校などの教員を経て福岡学芸大(現福岡教育大)教授だった1954年、脳性まひだった息子2人のために妻露子さん(故人)とともに私財を投じ、しいのみ学園を創設。
4#
 楼主| 发表于 2013-12-1 10:18:41 | 只看该作者
昇地三郎氏 死去 「しいのみ学園」創設者
   
2013年11月30日 東京新聞夕刊

 知的障害児教育施設の先駆けとして知られる「しいのみ学園」(福岡市)を創設した昇地三郎(しょうちさぶろう)氏が二十七日、心筋梗塞と心不全のため死去した。百七歳。北海道出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は養女坪根(つぼね)ちか子(こ)さん。
 広島文理科大(現広島大)卒。小学校や師範学校などの教員を経て福岡学芸大(現福岡教育大)教授だった一九五四年、脳性まひだった息子二人のために妻露子(つゆこ)さん(故人)とともに私財を投じ、しいのみ学園を創設。経緯は映画「しいのみ学園」にもなり、各地での特別支援学級設置につながった。
 二〇〇四年には、中国・長春市の「解放大路小学校」と共同で、同校内に障害者教育を行う「しいのみクラス」を設置。晩年は手作りのおもちゃを使った幼児教育に取り組み、国内外で講演。〇五年から計七回にわたり世界一周の講演旅行を行った。一二年には「公共交通機関を利用して世界一周をした最高齢者」としてギネス世界記録に認定された。
5#
 楼主| 发表于 2013-12-1 10:20:49 | 只看该作者
「しいのみ学園」を創設 しょう地三郎さん死去

2013年11月30日13時18分 朝日新聞

 知的障害児教育の先駆者で、福岡市の「しいのみ学園」を創設したしょう地三郎(しょうち・さぶろう=しょうは日の下に舛)さんが13-11-27日、心不全のため福岡市内の病院で死去した。107歳だった。葬儀は13-11-29日に近親者で営まれた。喪主は養女坪根ちかこさん。

 1906(明治39)年、北海道釧路市生まれ。長く福岡学芸大(現在の福岡教育大)で心理学を教えた。長男と次男が相次いで脳性小児まひになったことをきっかけに54年、私財を投じて障害がある子のための「しいのみ学園」を福岡市内に開設。80年度、障害児の教育、福祉の研究、実践に尽くした功績から朝日社会福祉賞を受賞した。

 「しいのみ学園」の開設の苦労や子どもたちとの触れ合いをつづった著書は120万部を超えるベストセラーとなり、映画化もされて大ヒットした。
6#
 楼主| 发表于 2013-12-1 10:25:01 | 只看该作者
しいのみ学園

昇地三郎さんの息子2人が脳性まひだったこともあり、福岡学芸大(現福岡教育大)の教授だった1954年、私財を投じて福岡市に設立した日本初の知的障害児通園施設。全国から入園者が集まった。昇地さんの手記「しいのみ学園」がベストセラーとなり、55年には故宇野重吉さん主演で映画化もされた。79年に養護学校(現特別支援学校)が義務教育化された際、モデル校となった。現在は児童発達支援センターとして、福岡市南部の3~5歳の知的障害児、発達障害児を受け入れている。今年4月20日現在の児童数は31人。
    ×      ×

(2013年11月30日掲載)
しょう地三郎さん死去 障害児教育 しいのみ学園創設 107歳 生涯現役全う
 日本初の知的障害児通園施設「しいのみ学園」の創設者で、107歳の現役教育学者として知られた昇地三郎(しょうち・さぶろう)さんが13-11-27日午後2時55分、心不全のため福岡市内の病院で死去した。福岡県内の男性で最高齢だった。自宅は福岡市南区井尻1の40の6。葬儀は近親者のみで11-29日に営まれた。喪主は養女の坪根(つぼね)ちかこさんが務めた。

 広島文理科大(現広島大)卒。小学校教師として大阪府で勤務していたが、長男が生後間もなく脳性まひとなったことから、福岡市に転居して九州大医学部で精神医学を専攻。次男も脳性まひとなったことから1954年、私費を投じて同市南区井尻にしいのみ学園を創設。園をつくるまでの軌跡を描いた手記「しいのみ学園」はベストセラーとなり、55年には映画化もされた。

 2003年、西日本文化賞(社会文化部門)を受賞。特別支援教育や幼児教育に長年携わり、福岡教育大名誉教授や韓国・建陽(コニャン)大名誉教授なども務めた。95歳で妻子全員を亡くして以降は、「99歳までは助走、100歳からが本番」をモットーに4カ国語の勉強を開始。99歳になった05年以降ほぼ毎年、世界一周講演旅行に出掛け、12年8月には公共交通機関だけを利用した「最高齢世界一周旅行者」としてギネス記録に認定された。

 手作りのおもちゃを使った幼児向けの知能遊びや、ラップの芯で作った棒を使って体操する独自の「棒体操」など健康増進法でも知られ、10年9月には福岡県後期高齢者医療広域連合の健康長寿マイスターに就任。シルクハットやちょうネクタイをトレードマークに健康増進法の啓発に努めた。12年2月、しいのみ学園理事・園長を退任した。今年も活動を続け、11月14日にも同県久留米市で講演。27日未明に自宅で体の不調を訴えて入院、約12時間後に死亡した。

 ●障害があろうとなかろうと、人間は同じ

 「しいのみ学園」創設者で、日本の知的障害児教育の先駆者として知られた昇地三郎さんは、100歳を超えてなお、トレードマークのシルクハットと真っ赤なブレザー姿で各地を講演。106歳で公共交通機関での最高齢世界一周旅行者のギネス記録を作るなどエネルギッシュな活動で人々を魅了し続けた。近親者によると、亡くなる数日前から「わが人生は楽しかりけり。わが人生に悔いはない」と話していたという。

 最後の講演会は13-11月14日。福岡県久留米市の会場に車椅子で登壇、1300人を前に約1時間話した。一口で30回かむことやユーモアの大切さ、新聞を読むことなど10項目の健康法を勧めた。主催した同市老人クラブ連合会の合原辰臣事務局長(61)は「退院直後だったにもかかわらず来てくれた。みんなに元気を与えてくれていたのでもう少し頑張ってほしかった…」。

 2012年2月に講演会を聞いた飯塚竜王ライオンズクラブの諸冨賢一会長(60)=同県飯塚市=は、握手したときの手の柔らかさが印象的だったという。「いつもにこにこしている温かい人柄が伝わってきた。食事をありがたくいただくことが健康の秘訣(ひけつ)と学んだ。残念です」と悼んだ。

 脳性まひの障害があった息子2人を育て、一時資金難に陥った「しいのみ学園」の運営を続けた。「社会福祉法人葦の家福祉会」(福岡市城南区)の大石敏子理事長(76)は「障害があろうとなかろうと、人間は同じという考えを貫いてきた。それが今の障害児教育の土台になっていると思う」と功績をたたえた。

 100歳以降も計6回、世界一周旅行に出掛けた。50年間親交があった原土井病院(同市東区)の原寛理事長(81)は「障害児教育を世界に広めようという大きな目標があったから、自分も元気でいなくてはという気持ちだっただろう。もう少し生きて日本や世界のために活動してほしかった」と悔やんだ。

7#
 楼主| 发表于 2013-12-1 10:29:30 | 只看该作者
訃報:昇地三郎さん 107歳=福岡教育大名誉教授

毎日新聞 2013年11月30日 大阪夕刊



世界一周の講演旅行から帰国した昇地三郎さん=福岡空港で2012年8月16日午後7時42分、加古信志撮影

 ◇障害児教育、しいのみ学園設立

 福岡市南区の知的障害児通園施設「しいのみ学園」を設立した福岡教育大学名誉教授(教育学)、昇地三郎(しょうち・さぶろう)さんが13-11-27日午後2時55分、心不全のため福岡市内の病院で亡くなった。107歳。葬儀は13-11-29日、近親者らで営まれた。喪主は養女坪根ちか子(つぼね・ちかこ)さん。自宅は福岡市南区井尻1の40の6。

 1906年、北海道・釧路生まれ。広島高等師範学校を卒業後、小学校教員に。脳性まひで障害があった長男と次男ら障害児のため54年、私財を投じて学園を設立。55年、学園をモデルにした映画「しいのみ学園」が反響を呼び、各地で養護学校が設立されるなど、79年の障害児教育義務化のきっかけになった。82年に毎日社会福祉顕彰を受賞。箱やペットボトルなどで製作、考案したおもちゃは約5000種類に上った。65歳から韓国語を、90代の半ばから中国語、ロシア語、ポルトガル語、フランス語を学び始めた。99歳の時に世界各地で講演して以来、ほぼ毎年講演旅行を継続。12年、106歳の誕生日の8月16日に、世界旅行から帰国し「公共交通機関を利用して世界一周をした最高齢者」としてギネス世界記録に認定された。【井上俊樹、平川哲也】
8#
 楼主| 发表于 2013-12-1 10:36:32 | 只看该作者
日野原さん「素晴らしい生涯」、昇地さん悼む声相次ぐ



記念講演で黒田節を披露する昇地三郎さん(6月、福岡市東区の九大医学部百年講堂で)

 福岡市の知的障害児施設「しいのみ学園」創設者で、13-11-27日に107歳で亡くなった昇地しょうち三郎さんは、障害児教育の草分け的存在として知られ、各地で講演活動などを行っていた。生前の幅広い交流をうかがわせるように、訃報を悼む声が相次いでいる。

 昇地さんと親交があった聖路加国際メディカルセンター理事長の日野原重明さん(102)は「僕の大先輩、兄として交流させてもらい、非常に尊敬していた。元気に世界中を回られていただけに、本当に残念だ。歴史に残る、素晴らしい生涯だったと思う」と語った。

 広島県東広島市の障害者支援施設「六方学園」学園長の田中久喜さん(77)は、父親と昇地さんが師範学校の同級生。広島大学の学生時代、講師として訪れた昇地さんの講義で障害児教育について教わった。

 田中さんは「何に対しても手を抜かず、一生懸命な方だった。障害を持つ子どもたちの教育に光をあてた功績は大きい。父親のような存在でした」と振り返った。

(2013年11月30日  読売新聞)

9#
发表于 2013-12-10 12:10:03 | 只看该作者
10#
发表于 2013-12-23 19:34:25 | 只看该作者

昇地三郎さんのご逝去にかかる福岡県知事コメント

発表日 平成25年11月30日

担当課:秘書室
直通:
内線:2011
担当者:岩佐

昇地三郎さんのご逝去にかかる福岡県知事コメント

 昇地さんに最後にお目にかかったのは、一昨年12月に、世界一周講演旅行の帰国報告に県庁に来ていただいた時でした。
 大変お元気で、実際に棒体操を披露され、私にも直接ご指導いただいたその姿が今でも瞼に浮かびます。その後もテレビなどで元気なお姿を拝見していたので、突然の訃報に大変驚いています。
 昇地さんは、昭和29年、まだ養護学校制度が整備されていない当時、全国でも珍しい、知的障害児施設「しいのみ学園」を設立され、我が国の障害児教育の草分けとして多大な貢献をされました。
 また、福岡県後期高齢者医療広域連合の「健康長寿マイスター」として高齢者の健康づくりにも御尽力いただきました。
 百歳を超えてから世界中を飛び回るお姿には、多くの人々が大きな勇気と元気をいただきました。
 昇地さんをなくしたことは大変残念です。心からご冥福をお祈りいたします。

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