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楼主 |
发表于 2018-7-1 11:23:20
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只看该作者
本帖最后由 邓文龙 于 2018-7-1 11:57 编辑
50歳独立研究者「副業から始まった」稼ぎ方
不確かながらも心安らぐ環境に身を置いた
古田 雄介 : フリーランスライター 2017年11月02日
一覧コメント10「50歳独立研究者「副業から始まった」稼ぎ方 不確かながらも心安らぐ環境に身を置いた | 「非会社員」の知られざる稼ぎ方 - 東洋経済
そこまで真剣に取り組んでいる団体でありながら、内部スタッフにプロの研究者はおらず、外部の研究協力者に頼る構造になっていた。しかし、交流を重ねるうち、自前で研究して論文を作りたいという意思があることを知る。そこに小松さんの意思が絡んでいく。
「ならプロの研究者を雇って、研究する環境をつくらないとダメですよ」
「そうなんですけど、雇ったことがないからどうしたらいいかわからないんですよ」
「では、いくつか雇用パターンを用意しますから、どれか条件が合致するもので私を雇ってください。赤ちゃんを含むヒトの行動パターンを分析するなら、私の生物学の知見が役に立ちますから」
かくして2001年4月、学部から16年間過ごしてきた北海道大学を後にし、小松さんは言語交流研究所初のプロの研究者として雇われることになる。34歳になっていた。
研究所は渋谷にあり、東京での暮らしが始まった。すると面白いことが起きる。
札幌にいたときよりも
「学部や修士で卒業していった仲間の多くは東京で就職しているので、札幌にいたときよりも友達と交流するようになりました。ずっと地元にいたのに札幌時代のほうが仲間が近くにいなくてさみしかったくらいです」
かつての仲間はそれぞれの組織でそれなりに決定権のある地位に上っていたり、膨大な人脈を築いたりしていた。飲み会に呼ばれて、雑談の流れで生き物の話をしていると、宴席の誰かがビジネスの表情で耳をそばだてているといったことも起きるようになった。生き物のことを聞かれれば知っているかぎり答える。子どもの頃からの性分だ。しかし、反響は友達の感心顔や賞賛だけではなくなっていた。
「時代的にも環境問題が叫ばれるようになっていて、生き物の世界とビジネスの世界がつながりやすくなっていたところもあります。『ウチはいまこういう開発しているけど、元からいる生き物は大丈夫かなあ?』と相談されたりしましたね」
上京して1~2年もすると、そうした相談は飲みの席にとどまらなくなる。方々の機会で知り合った人が組織人として、正式なアドバイザリー契約を申し出たり、プロジェクト単位で協力を要請されたりするようになった。
言語交流研究所に勤務中はその仕事に集中し、平日夜や土日などを使って、そうした副業の仕事をこなす毎日。しだいに副業のボリュームが増えていき、内容的にも興味が引かれるものが多くなっていった。忙しくなるにつれて収入も上がり、本業を上回る月も珍しくなくなった。
それなら、このスタイルで十分食べていけるんじゃないか。
そう思い立った小松さんにもう障壁はない。2004年4月、言語交流研究所との雇用契約を非常勤の技術アドバイザーに変更し、事実上のフリーランスとなった。そして、自宅兼事務所に小松研究事務所を設立。ネーミングは、弁護士や司法書士などの士業事務所を参考にした。
士業と同じようにプロの研究者が拠点を構えて、さまざまなクライアントに相対して報酬を得る。そういうスタイルを体現したものだ。肩書はネットの新聞記事で見掛けた独立系研究者を採用した。イギリスの独立系研究者(Independent Researcher)が組織を作ったというニュースの訳文が元。海外では当時から独立系研究者が活躍していたわけで、同じ研究職でも身の処し方に国ごとの差が大きかったことをうかがわせる。
不安をまったく感じないわけではなかった。しかし、「大学の内部で必ずしもフェアじゃない人事を知ったときのほうが断然大きかった」という。道理の通らない状況に身を置くより、不確かながらも世の中の摂理に即した環境にいるほうが心安らぐ。よくわからないものを自らの力でわかるようにして遊んでいた、子どもの頃からの性分、そして自信が根底にあると感じた。
14年前と比べると、とにかく説明が楽になりました(撮影:村田らむ)
おそらく多くの業界で生じている変化
『いじめは生存戦略だった!? 進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』(筆者撮影)
現在、独立系研究者となって14年目に突入している。
その間に忙しさや収入の波もあったが、おおむね順調だと振り返る。複数のクライアントとの仕事を並行してこなしているので、1つや2つが途切れたり問題が生じたりしても致命傷にはならない。穴ができても、これまで培った人脈や会合の場でのつながりが新たな仕事を呼び込んでくるので、積極的に営業をかけることもない。
独立して3年目に結婚したが、仕事のスタイルは特に変わらず、マイペースに熱心に研究に打ち込める日々が続いている。冒頭に挙げたようなプロジェクトをいくつもこなし、2016年12月には一般向けとしては初の単著となる『いじめは生存戦略だった!? 進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』も上梓した。
14年前と比べると、独立系研究者としての仕事はかなりやりやすくなっているという。
「とにかく説明が楽になりましたよね。今はフリーランスとして学術研究に携わることが、それなりに理解してもらえます。この10年でインターネットによる情報共有の技術が非常に発展して、昔だったら組織でないとやれなかったことが個人でもかなりの範囲で可能になっています。だから、おそらく多くの業界で生じている変化だと思いますよ。
また、私の専門分野である生き物のことやデータマイニングのことが、世の中で主流化しつつあるとも感じています」
舗装があったりなかったりした道をとにかく一直線に進んで、小松さんはなるべくして独立系研究者になった。そして、そのスタイルを変えず、定年も設けず、死ぬまで続けることを目標にしている。これから予想だにしないことも起きるだろうが、きっとこの一本道は直線のままだろうと思う。
https://toyokeizai.net/articles/-/195440
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