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NHKアナー黒木奈々さん死去 32歳の若さで 胃がん

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发表于 2015-9-19 20:15:01 | 只看该作者 回帖奖励 |倒序浏览 |阅读模式
黒木奈々さん死去 32歳の若さで、フリーアナウンサー 胃がん闘病中

スポニチアネックス 15-9月19日(土)15時14分配信



黒木奈々さん死去 32歳の若さで、フリーアナウンサー 胃がん闘病中
32歳の若さで亡くなった黒木奈々さん

 胃がんの治療を受けていたフリーアナウンサーの黒木奈々(くろき・なな)さんが15-9-19日午前2時55分に亡くなった。32歳。鹿児島県出身。同日、所属事務所が発表した。

【写真】ことし1月4日に放送したNHK「国際報道2015」で約4カ月ぶりに出演した黒木奈々さん

 通夜は9-22日午後6時、葬儀・告別式は23日午前10時から、いずれも東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は父幹宏さん。

 黒木さんは昨年4月にスタートしたNHKBS1「国際報道2014」でキャスターを務めていたが、昨年7月末に胃潰瘍の治療を受け、経過を見るために行った胃カメラ検査で胃がんが見つかった。8月27日の出演を最後に治療に専念。9月下旬に受けた手術が成功し、自宅で療養していた。今年1月4日にはNHK「国際報道2015」(月~金曜後10・00)に4カ月ぶりに1日限定の復帰を果たし、3月30日からは同番組に週1回出演していたが7月13日の放送を最後に休養していた。

 黒木さんは毎日放送を07年に退社後、フリーに転身。CS放送「TBSニュースバード」、NHK BS1「ワールドWaveトゥナイト」などのキャスターを務めた。

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 楼主| 发表于 2015-9-19 20:32:06 | 只看该作者
NHKアナー黒木奈々さん死去 32歳の若さで 胃がん 2

黒木奈々さん死去 32歳の若さで、フリーアナウンサー 胃がん闘病中

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 楼主| 发表于 2015-9-19 20:43:03 | 只看该作者
黒木奈々 - Wikipedia:

黒木 奈々(くろき なな、1982年11月12日[1] - 2015年9月19日)は、鹿児島県[1]出身のフリーアナウンサー。身長172cm。セント・フォース所属。
目次  [非表示]
1 人物
2 闘病と復帰
3 過去の担当番組
4 著書
5 参考文献
6 出典
7 外部リンク

くろき なな
黒木 奈々
プロフィール
出身地        日本の旗 鹿児島県鹿児島市[1]
生年月日        1982年11月12日[1]
没年月日        2015年9月19日(満32歳没)
血液型        A型
最終学歴        上智大学
所属事務所        セント・フォース
職歴        毎日放送[2][2]
活動期間        2006年 - 2015年
ジャンル        報道番組
公式サイト        公式プロフィール
出演番組・活動
現在        国際報道2015
過去        ワールドWaveトゥナイト
あさいちバード
CBS60ミニッツ
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

人物[編集]
鹿児島県のサラリーマン家庭に生まれる[3]。小学生時代からアナウンサーを目指し[3]、鹿児島県立鶴丸高等学校を経て[4]、女性アナウンサーを多く輩出しているという理由で[3] 上智大学外国語学部フランス語学科に進み卒業[2]。在学中に1年間フランスに短期留学[3] 。
中学では軟式テニス部、高校では硬式テニス部に所属しキャプテンを務めた[5]。
大学入学直後から、フジテレビのアナウンススクールに通い始める[2]。
アナウンサー採用試験のために1年留年して臨んだものの在京キー局・地方局すべて落ち[6]、報道記者枠で2006年4月に毎日放送(MBS)へ入社[7]。報道局ニュースセンター所属の報道記者として活動していたものの、2007年2月に同局を退社した。
2007年4月よりクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA、現在のキャスト・プラス)に移籍すると同時にTBSニュースバードのニュースキャスターになった。同番組では『ドクター月尾 地球の方程式』の2代目の聞き手役も務めるほか、2009年4月から半年間は早朝から午前7時台を担当。また、同局のキャスター汾陽麻衣とは同郷であることから親友。
2010年3月にCMAを退社し、同年8月にセント・フォースに移籍。ただし、ニュースバードには2011年3月まで出演していた。同局の公式HPでは2010年4月以降「フリーアナウンサー」という肩書きとなっていた。
2011年4月からは『ワールドWaveトゥナイト』(NHK BS1)[8]アシスタントとしてニュース、天気予報などを担当。取材でフランス語によるインタビューを行ったこともある。
2014年3月31日に『国際報道2014』のメインキャスターに就任。
闘病と復帰[編集]
2014年7月27日、急性胃潰瘍でレストランで倒れ緊急入院[9]。その時は早めの夏休みの名目で同年8月18日に復帰したが[10]、検査の結果、悪性細胞が見つかり同年8月27日放送分以降休養[11]。同年9月10日に胃癌を患っていることを公表した[12][13][14]。
14-9月19日に手術を行い[15]、2014年10月5日に退院。関係者から、胃癌手術は成功
し、転移もないと発表[16]。
14-10月の退院後も1年間の予定で抗がん剤治療を継続[17]、2015年1月4日、NHK総合テレビの『国際報道2015』の特別版で、1日限定ではあるが、報道現場への復帰を果たした。早ければ2015年4月の本格復帰を目指して、治療に専念することを表明した[18][19]。
2015年3月30日より、治療を継続しつつ、当面は毎週月曜日に限定する形でNHK BS1『国際報道2015』のキャスターに復帰したが[20][21]、8月31日の放送分(実際には2015年7月13日の放送を最後に休養したとする報道もある[22])で、再び休養することが発表された。2015年9月19日死去[23]。32歳没

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E ... 8%E5%A5%88%E3%80%85



黒木奈々 Google 搜索结果:

https://www.google.co.jp/search? ... h3aVgTu&dpr=1.1



黒木奈々さんが胃がん手術から復帰を果たす!結婚や彼氏の...
(2015年5月18)

http://joseiana.com/archives/8260



人生再起の記録 30代後半で仕事・お金・友達・人脈を失ったところからの再起の記録
2015-04-15
31歳で胃がんになったBS国際報道キャスター黒木奈々さんの書籍を読んで

雑記 人生
BS放送が開始された1980年代後半。

NHKのBSで「きょうの世界」という国際報道番組が放送されてました。
当時、小学生だった僕は、この番組を通じて初めて世界の広さを感じたことを覚えています。小学生の僕には内容が難しい話題もあったけれど、世界にいろんなニュース番組があって、とてもワクワクしながら番組を観ていました。それからその後の「ワールドWaveトゥナイト」、そして「国際報道」と番組名は変わった後も観ています。

「ワールドWaveトゥナイト」時代から番組のキャスターを務めていた黒木奈々さんが、2014年8月に番組を休み、胃がんの治療のため休養というニュースが出た時は、かなり驚きました。31歳の若さで胃がんになったという事実に。

黒木奈々さんは、がん治療のため番組を休養してからは、手術と治療の闘病生活を経て、2015年1月4日に挨拶で番組復帰しました。そして、2015年4月から毎週月曜の番組だけを担当してレギュラー復帰しています。投薬による治療を続けながらの復帰です。僕は単なる視聴者ですが、黒木奈々さんが、無理せず慎重に、そして徐々にまた活動の幅を広げられるようになることを願ってます。

さて、黒木奈々さんが、胃の不調を訴えてから10日ほどの短期入院をして検査、その後の胃がんの告知、番組休養、手術、闘病生活、さらに番組復帰についてを黒木奈々さんのキャスターへの道のりを紹介しながら書かれたのが「未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター」という本です。


未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター
作者: 黒木奈々
出版社/メーカー: 文藝春秋
発売日: 2015/03/26
メディア: 単行本  223ページ  ¥ 1,296
この商品を含むブログを見る
http://www.amazon.co.jp/exec/obi ... 4/cleanitem2013-22/

早くからキャスターを志望していた黒木奈々さんは、新卒ではキャスターになることができずに、記者としてキャリアをスタートさせます。だけど、キャスターを諦めらずに記者を辞め、フリーアナウンサーとしての道を選びます。そして、ようやく掴んだNHKの国際報道キャスターという仕事。

キャスターとしてのキャリアをスタートさせてところでの胃がんはショックという言葉では片付けれなかったでしょう。

この本は、30代の女性ががんに立ち向かう心情、手術、投薬による闘病生活、家族や周囲のサポートなど、いわゆるがん治療に関する闘病記録として参考になるだけでなく、がんになって考える仕事感、そして結婚や出産についてなど、仕事をする30代の独身女性が持つ将来への不安や希望についても素直に書かれていて、男の僕が読んでも参考になることが多かったです。

また、昨年の8月から今現在に続く闘病生活についての本のため、ごく最近の話としてリアリティさがあり、昨年の同時期の自分と照らし合わせながら読むと、考えさせられるものがあります。

例えば、黒木奈々さんががん告知を受け、手術、闘病生活に入った9月頃、僕は会社でまさかのパワハラを受けるという、自分が被害を受けるなんて思いもしなかった出来事に遭遇しました。相当なパワハラで、僕は入社した会社を3ヶ月ほどで退職せざるを得なくなりました。振り返ってみても、やはりそれなりに苦しい思いをしました。

その一方で同じ頃、まさかのがんで仕事を休み、思わぬできごとと苦しい思いをしながら闘う人がいたことに、なんだかほっとさせられました。あの僕がパワハラで苦しんでいた瞬間は、決して自分だけが苦しんでいたわけではないということに。

この本を読んで、最も考えさせられたことは、ありきたりですが、健康であることがいかに大切かということです。今の僕は、30代後半で仕事やお金や友達や人脈を失っています。だけど、体は健康です。持病もない。いろいろ失っているかもしれないけれど、健康という何をするにも全てのベースになるものは、失っていないことを強く意識させられました。何かをするに自分の体に制約があるわけではない。体について気にしなければならないこともない。何だってできる。健康であることは、僕には当たり前すぎて、この本を読まなければ全く意識しなかったです。:

http://ushinattta.hatenablog.com/entry/2015/04/15/084032



未来のことは未来の私にまかせよう 31歳で胃がんになったニュースキャスター 単行本 – 2015/3/26
黒木 奈々 (著)
内容紹介
黒木奈々、31歳。NHK BS1「国際報道2014」のメインキャスターに抜擢され、その前途は輝かしいものに思われていた。
そんなある日、友人との食事中に突然の胃痛に襲われる。救急車で運ばれ、胃せん孔との診断で入院。しかし、それは、たんなる胃潰瘍ではなく胃がんだった……。
セカンドオピニオンを得て、胃の手術を決意。同時に、自らの病名を公表し、病と戦うことを宣言する。
キャスターという立場を生かし、同年代の働く女性たちが、がんに襲われたとき、何か力になれるのではないかという信念のもとに、がん宣告のあとの心境を綴った手記が本書である。
あくまで明るく、前向きに病と闘いつつも、32歳の女性ならではの悩みはつきない。
容姿が取りざたされる職業で、果たして自分は仕事に戻れるのか。
これまでキャリアを優先してきたけれど、もう一度、誰かと恋ができるのだろうか。
結婚は? 子どもを持つことは?
何も「あきらめない」ことを目標とする今の女性たち。その中でがむしゃらに先頭を走ってきたキャスターが突然の病に襲われたとき、何を選び、何をあきらめるのか。
揺れ動く気持ちを素直に書き記した闘病記。



がん研究会有明病院:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E ... E%E7%97%85%E9%99%A2



NHK BS :

http://www.nhk.or.jp/bs/

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 楼主| 发表于 2015-9-19 21:15:18 | 只看该作者
黒木奈々さん

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 楼主| 发表于 2015-9-20 16:27:02 | 只看该作者
【追悼】報道番組キャスター 黒木奈々さん

胃がん(1)全摘出手術経て限定復帰

(15-8-6-読売)



 テレビ局記者を経て、フリーアナウンサーとして活動し、昨年14-4月、長年の夢だった報道番組のキャスターになった。しかし、その4か月後、胃がんとわかり無念の休業。全摘出手術、痛みや抗がん剤の副作用など、壮絶な闘病を続け、今年2015-春、週1回の限定で番組に復帰した。

 鹿児島市の出身。小さい頃は人見知りで、よく泣く甘えん坊だった。サラリーマンの父は、ラグビーの社会人クラブチームの監督もしていた。小学生の時、父が見ていたニュース番組で、堂々と原稿を読むアナウンサーにあこがれた。「早くから、将来はアナウンサー、と決めていました」

 長身でスポーツ好きだったので、中学では軟式テニス部に入り、キャプテンになった。しかし、部活で走りすぎたため、一時、腎臓の病気「腎盂じんう炎」になった。でも数日休んだだけで、頑張り通した。

 県立高校2年の時、母が乳がんになり、2か月ほど入院した。深刻とは思わなかったが、「母が死を覚悟しながら、部分切除の手術、ホルモン剤、放射線、抗がん剤の治療を続けていたことを、後で知りました」。

 大学は、女性アナウンサーが多い出身校を調べて決めた。上京し、すぐにアナウンストレーニングのスクールに通った。交換留学生としてフランスで1年過ごした。ここまでは、絵に描いたような学生生活だった。



胃がん(2)苦労重ね「メイン」に抜てき

 フランス留学から2004年夏の終わりに帰国。夢だったアナウンサーの採用試験を受けるために、留年した。

 「在京キー局から大阪などの準キー局、地方局と全国行脚しましたが、落ち続けました。自分の行く道を否定されたようでした」。初めての挫折だった。

 不採用になった大阪の放送局から、報道記者職の受験を勧められた。その試験に合格。06年4月から報道記者として働き出したが、焦りも感じていた。翌年2月に退社した。

 「この仕事が嫌いだったわけではありませんが、本当にやりたいのはアナウンサー。今しかないと思い、24歳で決断しました」

 上京後、心配した前の会社の先輩が系列でもあるニュース専門チャンネルでキャスターを募集していると教えてくれた。採用になり、3年間を過ごした。

 NHKBSが国際ニュース拡大のため、新番組のキャスター募集を始めた。夜の番組のサブキャスターになった。メインキャスターになる夢を秘めながら、さらに3年が過ぎた。

 昨年4月、英語とフランス語が堪能な国際派として、改編された報道番組のメインキャスターに抜てきされた。「フリーになって7年、頑張ってきて本当によかった、と泣きました」

 だが、この間の懸命な苦労が、健康を激しくむしばんでいた。



胃がん(3)会食中に激痛、救急搬送


注意多张照片左右脸和脖子几个痣

 メインキャスターとして連日のように、ゲストとの対談や、幅広い分野のテーマを扱っていった。「やっとつかんだ仕事だから、きついと思ったことはありませんでした」

 平日午後10時からの生放送なので、昼に起き、局に午後3時頃入る。打ち合わせ、メイク、リハーサル、本番直前にあがってくる原稿の下読み、生放送、反省会などで、帰宅は午前0時頃。すぐには眠れず、就寝は午前4時ぐらいになる。

 食事は出勤前と、放送本番前の慌ただしい中での簡単なもので、2食だけ。こんな生活が、同じ時間帯の番組のサブキャスター時代から3年以上続いていた。

 メインキャスターになって3か月が過ぎた昨年7月、フランス留学時の仲間と会食中に突然、異変が起きた。胃が握りつぶされるような痛みで、顔は土色と化し、冷や汗が流れ出た。新たな激痛で気を失い、救急車で運ばれた。

 胃に穴が開いていることがわかり、「胃潰瘍せん孔」と診断された。でも、番組のことがとても気になっていた。放送に穴を開けるわけにはいかない。「帰宅したい」と言ったが、即入院になった。

 詳しい検査の結果、開腹手術を勧められた。「嫌です」と断った。「結婚もしてないのに、おなかに傷つけるなんて……」。だが、乙女心の願いも、病魔は許してくれなかった。


報道番組キャスター 黒木 奈々(くろき なな)さん 32

(2015年8月20日 読売新聞)



胃がん(4)復帰の10日後に事態一転

 開腹手術を見送り、チューブを鼻から胃に入れ、点滴を流し、胃の穴をふさぐことになった。気になっていた番組は、早めに夏休みを取った形にして、治療に専念した。10日ほど入院後、鹿児島の実家で静養した。

 仕事には3週間で復帰した。胃の方も治ってきたと感じていた。だが復帰から10日ほどの昨年8月、番組終了直後に親からのメールを見て、すべてが一転した。

 実家に電話すると、父から「細胞検査の結果、(胃潰瘍せん孔でなく)がんとわかった、と病院から連絡があった」と伝えられた。父が所属事務所と話し、翌日から番組を休むことも決まっていた。

 「自分の体より、やっとつかんだキャスターの番組を降板になることが、つらかった。最後の出演になることも知らず、視聴者の皆さんに何のあいさつもなく終わってしまったのが、耐えられませんでした」

 電話を切ってメイク室に入り、一人で泣いた。帰宅して事務所の社長に電話すると、「NHKは、『番組降板でなく、ずっと待っているから』と言ってくださった」と知らされた。「大好きな仕事を失う恐怖から少し解放されて、生きる希望が出てきました」

 でも、眠れなかった。母にメールしたら、すぐに電話が鳴った。「丈夫な体に産んであげられなくて、ごめんね……」。一番つらい言葉だった。


 報道番組キャスター 黒木 奈々(くろき なな)さん 32

(2015年8月27日 読売新聞)



胃がん(5)公表、手術…痛みとの闘い

 セカンドオピニオンを受けに、がんの専門病院に行った。胃カメラ検査で、がん細胞が巣くうように広がっているのがわかった。医師から、開腹手術と胃の全摘出を告げられた。

 診察室を出てから、寝るまで泣き続けた。でも翌朝、覚悟が出来ていた。「仕事より、今は病気と闘うことを考えよう。未来のことは、未来の私に任せればいい」

 がんを公表した。突然、番組を休んだので、ネットには「スキャンダル発覚か」と勝手な臆測も流れた。

 「私と同じような病気で苦しんでいる方の、励みになりたい。それが若くしてがんに病んだ私の存在意義で、自分を奮い立たせてくれると思いました」

 医師に「もし、がんを見つけられなかったら、2年後に命はなかった」と言われた。約6時間の手術で胃を全摘し、食道と腸を結ぶなどした。両親は、取り出したばかりの娘の胃を見届けねばならなかった。

 激痛との闘いが続いた。胃を全摘した痕と、その裏側の背中が特に痛んだ。食事も大変だった。胃がないので食べ物が食道から腸に直接落ちる。しっかりかまなければならなかった。


 「食べることは好きだったのに、おかゆのにおいを嗅いだだけで気持ち悪くなり、食事の時間が拷問のようでした」。栄養の足りない分は、細いチューブでおなかの脇から腸に栄養剤を入れる「腸ろう」で補った。


 報道番組キャスター 黒木 奈々(くろき なな)さん 32

(2015年9月3日 読売新聞)



胃がん(6)今度は味覚障害…泣いた

 食事をすると、腸がぷるぷる震えていた。未消化の食べ物が流れ込み、腸がびっくりして、冷や汗や吐き気が出る「ダンピング症候群」だ。だんだんと腸も慣れ、昨年14-10月、退院できた。

 翌日、うれしい連絡をもらった。キャスターをしていたBSの報道番組が15-1月4日、NHK総合で放送されるので、戻ってきてほしいという。「3か月先の復帰目標ができました」

 だが、まだ難関が待ち構えていた。がんはステージ3。担当医から「今後5年の間に60~70%の確率で再発する可能性がある」と説明された。高すぎる再発のリスクを減らすため、抗がん剤治療を勧められた。

 「副作用で髪が抜けるのが怖かったが、その恐れがないのを確認し、踏み切りました」。ステージ4の患者に投与する点滴を組み合わせた、この病院では初めての治療になった。途中に休薬期間もあり、復帰日がその期間に入っていた。

 でも、副作用が強いため、一時、入院しなければならない。服用が始まると、ものすごい睡魔、だるさ、食欲不振が襲ってきた。

 昨年14-12月に入院し、点滴が始まった。新たに、味覚障害に苦しめられた。好きだった食べ物の味がしなくなり、泥の水を飲んでいるようで、ほとんど食べられなかった。

 「なんでこんなつらい思いをしないといけないの」。耐えきれず、泣いた。


 報道番組キャスター 黒木 奈々(くろき なな)さん 32

(2015年9月10日 読売新聞)



胃がん(7)闘病の現実伝えたい



 抗がん剤の副作用で体調は最悪だったが、昨年のクリスマスイブ、8日ぶりに退院した。15-1月4日の特別番組が迫っていた。「体調が戻るか不安だったが、母が『絶対大丈夫!』と励ましてくれました」

 直前に調子が戻り、4か月ぶりの放送に間に合った。やせたのが目立たないよう、スタイリストがおなかに腹巻きを入れてくれた。生放送を無事終えて帰宅すると、両親が玄関で待っていた。3人で「よかった」と抱き合って泣いた。

 15-3月末から毎週月曜という限定だが、夜の番組にキャスターとして復帰した。「平日5日のうち、1回しか出来ないと考えるより、1回出来ると思うようにしています。回数より、長い期間出続けられることが大事だと考えています」

 療養のため、15-7月下旬から番組を休んでいる。通院しながら、再び復帰する日を目指している。

 闘病を通し、家族の大切さがわかった。「私も家庭を作りたい。受け入れてくれる人がいれば、ですが」

 フリーだったので数年、健康診断を受けていなかった。「若いから、自分の健康を過信していた。人に伝える仕事をしているので、病気にならないとわからないことも伝えていきたい。それが、私が病気になった意味だと思っています」(文・斉藤勝久、写真・藤原健)


 報道番組キャスター 黒木 奈々(くろき なな)さん 32

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 アナウンサーの黒木奈々さんが2015年9月19日、胃がんでお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。(ヨミドクター)

(2015年9月17日 読売新聞)

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=123929

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 楼主| 发表于 2015-9-20 17:08:43 | 只看该作者
BS 上常出現的 人氣美女主播  黒木奈々

whoiswho

發表於 2011-10-11 08:50:48

更新:
如果Google一下"黒木奈々”、一定會看到許多關於她去年(2014) 曾經因為生病,突然從螢光幕消失的報導,幸好經過醫療休養,現在已經康復,今年(2015) 也恢復工作回到NHK 國際報導的節目.不過大概是因為大病初癒,不宜過度勞累,所以目前一周只有擔任一天(星期一)的主播.奈々ちゃん還出一本書未来のことは未来の私にまかせよう,描述她突然患病的經過與治療復歸的心路歷程.祝福黒木小姐趕快把身子調養好,能有更多些機會讓廣大喜愛並支持她的觀眾在螢光幕上看到她.

悲報:  驚傳噩耗, 根據新聞報導,黑木小姐今日(2015/09/19)凌晨辭世,紅顏薄命,令人不勝惋惜,願她在天國能安息.

中國時報2015年09月19日 16:07 : 曾寫書鼓舞病友 32歲美女主播不敵胃癌逝世
Yahoo Japan News 2015/09/19: 黒木奈々アナ死去 32歳 :

http://www.hd.club.tw/thread-119625-1-1.html



主播黑木奈奈抗癌历程:未来的事交给未来

独立主播黑木奈奈

May 26, 2015

文:盐原贤/摄影:麻生健

  总算抓住的工作机会,甚至包括生命都差点被突袭而来的病魔夺走……。

  独立主播黑木奈奈(32岁)在被选拔为新闻节目《国际报道》(NHK-BS1频道)主播后仅仅4个月,就被查出患有胃癌,只能立即进行休养。从去年7月以来,一直受到胃部剧痛折磨的黑木,忍受着是接受胃部全摘手术还是抗癌剂治疗这样“拷问般”的痛苦。在恢复工作之前,她只在今年1月4日作为主播工作了一天,困惑和懊悔的情绪一直持续至今。

  但在她身上发生的事情,或许并不特别。在癌症被称为国民病的日本,2人中就有1人患有癌症。正因为如此,黑木才想“让大家了解与病魔斗争的自己,也希望能够帮助那些被病魔所折磨的人们”,并由此写下了一本和疾病斗争的书。

  在黑木与疾病斗争的过程中,她的父母从鹿儿岛来到东京,朋友们也给予了她极大的支持。书名《未来的事就交给未来的我》(日文名为《未来のことは未来の私にまかせよう》,文艺春秋出版社),便是来自朋友的鼓励之言,“只要能够活着,就一定会有办法。未来的事情,就交给未来的奈奈自己去解决吧”。正是因为相信未来,现在才能集中精神和病魔斗争。黒木感激地说道,“正是因为有周围人们的支持,我才能积极乐观地面对生活”。

  该书在出版后,还发生了一件欣喜之事。从15-3月30日开始,每周一黑木将回归到节目中。慌慌张张地进入演播室,摄影机上闪烁的红灯意味着即将开始播出,50分钟的直播就这样开始了。黒木实实在在地感觉到,“终于回来了”。

  15-1月4日,在播读新闻稿时,呼吸十分紧促。即使是现在也不能完整地读完。但正是现在的自己才能向大家传递“生命的珍贵”这类主题。在精神上,黑木要比之前更加坚强有力地站在镜头前。

关注朝日新闻中文网新浪微博

文:盐原贤/摄影:麻生健

http://asahichinese.com/article/society/AJ201505260059



32岁日本美女主播黑木奈奈胃癌逝世 - 新浪视频- 新浪网:

视频信息
发布时间:2015年09月20日15:29
频道: 影音娱乐 / 明星全接触
标签: 黒木奈奈 主播 日本 逝世 胃癌
简介:
  新浪娱乐 新浪娱乐讯 据台湾媒体报道,日本32岁美女主播黑木奈奈,被选上成为NHK-BS1频道节目《国际报道》主播才四个月,就被检查出患有胃癌,去年8月辞去工作在家治疗休养,今年初一度坐回主播台,并出书鼓励癌症病友,没想到19日凌晨病情急转直下,不幸逝世,令粉丝不胜唏嘘。:

http://video.sina.com.cn/p/ent/s ... ml?vt=4&pos=108



(俳優・歌手 黒沢年雄さん
8度のがん手術(1)40歳の若さで母 がん死
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=106334

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E ... 2%E5%B9%B4%E9%9B%84

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