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2014年7月14日
独立行政法人理化学研究所
脂肪酸の機能に関わる遺伝子の変異が統合失調症・自閉症に関連する可能性
-統合失調症と自閉症の病因解明、診断、治療、予防に新たな光-
ポイント
統合失調症・自閉症患者では脂肪酸結合タンパク質遺伝子の発現量が変化
統合失調症・自閉症患者から脂肪酸結合タンパク質の遺伝子に変異がある症例を発見
脂肪酸結合タンパク質の質的・量的変化が疾患での脂肪酸機能不全をもたらす可能性
要旨
理化学研究所(理研、野依良治理事長)は、統合失調症[1]や自閉症[2]といった精神疾患の発症に、脂肪酸[3]を運搬する「脂肪酸結合タンパク質(FABP)[4]」が関与する可能性を見出しました。また、患者からFABPをつくる遺伝子に変異がある症例を発見しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)分子精神科学研究チームの島本知英研修生(お茶の水女子大学大学院生)、大西哲生研究員、吉川武男チームリーダーと、山口大学の大和田祐二教授、浜松医科大学の森則夫教授らによる共同研究グループの成果です。
統合失調症や自閉症の発症に関連する物質の1つとして「脂肪酸」が注目されています。脳の細胞内では、水分になじまない脂肪酸を目的の場所へ運搬する3種のFABP(FABP3、FABP5、FABP7)が働いています。過去に共同研究グループは、 FABP7をつくるFABP7遺伝子が統合失調症に関連することを報告しています(PLoS Biology, 2007、Watanabe et al.)。そこで今回、検討対象とする遺伝子をFABP3とFABP5へ、対象とする疾患を統合失調症との発症メカニズムの類似性が指摘されている自閉症へと広げ、FABPが精神疾患に及ぼす影響の包括的な理解を目指しました。
共同研究グループは、統合失調症と自閉症の患者の脳や血液細胞を用いて、3種のFABP遺伝子の発現量を発症していない人と比べたところ、FABP5とFABP7の発現量が上昇または低下していることを発見しました。次に、2,097人の統合失調症患者と316人の自閉症患者のサンプルを用いて、3種のFABP遺伝子の変異を調べました。その結果、8つの遺伝子変異を発見し、その中にはFABPの機能異常を引き起こすものが含まれることを突き止めました。さらに、これらの遺伝子を破壊したマウスを解析したところ、Fabp3やFabp7を破壊したマウスで精神疾患に関連のある行動異常が観察されました。これらの結果から、脳で働くFABPの「量」や「質」の変化が、統合失調症や自閉症の病因に関わる可能性があることが判明しました。今後、脂肪酸とその結合タンパク質に着目した研究を進めることで、統合失調症や自閉症の新たな診断法、治療法、予防法の開発へ繋がると期待できます。
本研究成果は、英国の科学雑誌『Human Molecular Genetics』の掲載に先立ち、オンライン版に近日掲載されます。
背景
精神疾患は発症すると、患者の生活の質が低下するだけでなく、社会全体で負担する費用も増加するため、がんや生活習慣病と並んで病因の解明と治療法・予防法の開発が急がれています。統合失調症は、幻覚や幻聴、妄想などさまざまな精神症状が現れる疾患で、自閉症は対人コミュニケーションの障害、限定的な行動や興味などの特徴がみられる疾患です。
近年、統合失調症や自閉症の研究で、「脂肪酸」が疾患発症に何らかの形で影響を与えているという説が注目されています。脂肪酸は、細胞内のさまざまな機能に関与しており、脳の正常な発達に必須な物質です。しかし、脂肪酸は水分となじまない性質であるため、細胞内の働くべき場所で働くためには、その移動を助ける「運び屋」の存在が不可欠です。細胞内でその役割を担うのが「脂肪酸結合タンパク質(FABP)」です。FABPは10種類以上の近縁タンパク質の総称ですが、過去に共同研究グループは、主に脳で働くFABP7をつくるFABP7遺伝子が統合失調症の原因遺伝子の1つであることを報告しています。ただ、ヒトの脳ではFABP7だけでなくFABP3とFABP5も発現しています。そこで今回、FABP7に加えてFABP3とFABP5にも着目し、統合失調症との関係や統合失調症と遺伝的・臨床的な関連性が報告されている自閉症との関係を明らかにしようと試みました。
研究手法と成果
1)統合失調症と自閉症の患者ではFABP遺伝子の発現量が変化(図①)
これまでに共同研究グループは、統合失調症患者の死後脳では疾患を発症していない人(正常対照群)と比べてFABP7の発現量が上昇していることを示しています。そこでFABP3とFABP5の発現量も同様に、統合失調症患者の死後脳で上昇しているかを調べました。さらに、統合失調症患者の血液細胞と自閉症患者の死後脳で、FABP3、FABP5、FABP7の発現量が正常対照群と比べて変化するかについても調べました。その結果、①統合失調症の死後脳ではFABP5の発現量が上昇する②生存している統合失調症患者の血液細胞ではFABP5の発現量が低下する③自閉症患者の死後脳ではFABP7の発現が上昇する④FABP3はどの試料においても、正常対照群との差が見られない、ということが分かりました。
特に、FABP7の発現量が統合失調症と自閉症の両方の死後脳で上昇していることから、FABP7は2つの疾患の発症に共通するメカニズムに関与していると推察されました。また、血液細胞のFABP5の発現量の低下は、統合失調症の診断において、有力なバイオマーカー[5]になる可能性があります。
2)統合失調症と自閉症の患者から機能異常を起こす遺伝子変異を発見(図②)
2,097人の統合失調症患者と316人の自閉症患者のサンプルを用いて、これらの疾患の患者で実際にFABPの機能異常を引き起こすような遺伝子変異があるかどうかを調べました。その結果、8種類の変異(2種類のフレームシフト変異[6]と6種類のミスセンス変異[7])を発見しました。
次に、これらの変異がFABPにどのような機能的異常を引き起こすのかを調べました。まず、機能変化予測解析を行い、次に細胞を用いた生物学的解析、蛍光色素を用いた生化学的解析を行いました。その結果、2種類のフレームシフト変異タンパク質は、どちらも細胞内で異常な分布を示すと同時に壊れやすい性質を持つことが分かりました。また、6種類のミスセンス変異タンパク質のうち2種類の変異では、いくつかの脂肪酸に対する結合特性が変化しており、変異を持つ患者の細胞中の脂肪酸の働き方に異常がある可能性が示唆されました。この結果から、これらの変異を持つ患者では、脳で働くFABPの「量」や「質」が変化しており、その変化が脳内での脂肪酸の代謝や働きに何らかの影響をもたらす可能性が高いと考えられました。
3)Fabp遺伝子を破壊したマウスは精神疾患関連の行動異常を示す(図③)
Fabp遺伝子が脳の働きにどのような役割を果たすのかを明らかにするため、3種類のFabpのノックアウトマウス(Fabp遺伝子が機能しないようにした遺伝子組み換えマウス)を作成し、精神疾患に関連する行動試験を行いました。その結果、Fabp3ノックアウトマウスは新しいものに対する興味が低下していること、Fabp7ノックアウトマウスは活動性が高い一方で不安を感じやすいことが分かりました。これらの行動変化は統合失調症や自閉症で見られる行動変化の特徴と一致しており、ヒトにおいてもFABP3やFABP7の機能不全は、脳が関わる疾患につながる可能性が高いことが明らかになりました。
今後の期待
現在、統合失調症や自閉症などの精神疾患の診断に用いる信頼性の高いバイオマーカーはありません。今回の研究で、統合失調症の患者の血液細胞ではFABP 5遺伝子の発現量が低下していることが明らかとなり、FABP 5の発現量と脂肪酸量の変動を組み合わせて検査することでより正確なバイオマーカーとして利用できる可能性が出てきました。
また、共同研究チームが以前行ったFABP7の研究と今回の研究により、一部の統合失調症患者や自閉症患者では脳の発達期に脂肪酸機能の不全があることが示唆されました。このことは、脳の発達期である妊娠期や乳児期・幼児期に適切な量と質の脂肪酸を摂取することや、今回発見したFABP遺伝子の変異など遺伝的な要因によって引き起こされる脂肪酸機能不全であってもそれを補う適切な量と質の脂肪酸を摂取することが、予防につながる可能性を示唆しています。
さらに、発症後でも、脂肪酸の適切な摂取が症状の軽減に有効である可能性が考えられます。今後、どの脂肪酸をどの程度、どのぐらいの期間・時期に摂取すれば症状を軽減できるのかを明らかにすることで、新たな治療法の確立につながると期待できます。
原論文情報
Chie Shimamoto, Tetsuo Ohnishi, Motoko Maekawa, Akiko Watanabe, Hisako Ohba, Ryoichi Arai, Yoshimi Iwayama, Yasuko Hisano, Tomoko Toyota, Manabu Toyoshima, Katsuaki Suzuki, Kazuhiko Nakamura, Norio Mori, Yukihiko Shirayama, Yuji Owada, Tetsuyuki Kobayashi, Takeo Yoshikawa. "Functional characterization of FABP3, 5 and 7 gene variants identified in schizophrenia and autism spectrum disorder and mouse behavioral studies". Human Molecular Genetics, 2014, doi:10.1093/hmg/ddu369
http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140714_1/
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