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高松から羽田まで飛行機通勤 ワーママのモチベーションは〈AERA〉
dot. 14-11月1日(土)11時41分配信
2児の母にして、乳腺外科医。「飛行機通勤」で東京と高松を往復する。娘たちを置いて平日単身赴任したこともあった。――彼女が働く理由とは。
乳腺外科医の何森(いずもり)亜由美(45)は日帰りの「飛行機通勤」を、4年も続けてきた。月曜日は、自宅がある香川県高松市の空港から朝一番の便で羽田へ向かう。午前10時に、東京のがん研有明病院での診療を開始。患者の検査を受け持ち、若手医師の研修の指導も行う。
専門は、超音波の画像診断。画期的な乳がん検査の手法を見いだし、今年、乳房超音波の診断ガイドラインに、この手法の知見が盛り込まれた。全国から講演や実技指導の依頼が舞い込み、がん研での診療後も、ベテランの検査技師らが勉強会を持ちかけてくる。香川に戻るのはいつも最終便だ。
火、水、木曜は、地元の高松平和病院で乳腺外来を一人で受け持つ。隔週の水曜日は、自ら高速道路を運転して駆けつける徳島県の病院で、手術に入り、金曜日にも診療のため、徳島へ通っている。
大学時代は「カメラ小僧」。白黒の長巻きフィルムをカメラに詰め、自宅で現像もし、白と黒が織り成す世界に没頭した。大学4年生の時、学籍番号順に並ぶと机が隣同士になった晶と結婚した。花形の消化器外科医になった何森は、宿直に呼び出しと、忙しい日々だった。
激務のなか不妊治療をして1人目を授かり、その2年後には2人目を出産。高松平和病院では、女性医師で産後復帰したのは、何森が初めてだった。呼び出されると、やむなく長女を連れていくこともあった。次女が生まれ、当直や呼び出しがなるべくない分野への転向を模索。乳腺分野に注目し、超音波検査を併用したところ、通常の3倍もの発見率で乳がんが見つかった。
「私、この分野に向いているかも」
毎晩、子どもたちが寝静まると、持ち帰った何千もの超音波動画に目を通した。良性と診断された部位の動画画像と、がん化した組織の病変部の画像を、交互に何回も見比べた。
4年前、がん研から、1年の期限つきで常勤医として呼ばれた時には、仕事を優先する形に。超音波検査体制を改革する役割も期待され、何森の心が揺れた。母親としては「子どもを高松に置いて通うのは…」と踏み出せずにいた。そんな彼女の背中を押したのは、晶だった。
「断るな。家族は苦労するだろうが、君のステップアップにはよい機会だ」
夫自身も内科医として呼び出しの多い立場だが、週5日の妻の不在を、実母や義母とのリレーで「なんとか引き受けた」。何森は、金曜夜に高松に戻り、週末を家族と過ごした後、日曜の夜にはまた東京へ。がん研に戻ると、娘たちの別れ際の表情を思い浮かべ、「娘たちに寂しい思いをさせているのだから、見合うだけの仕事をしよう」と気持ちを奮い立たせた。
(文中敬称略)
※AERA 2014年10月27日号より抜粋
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