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103歳の美術家・篠田桃紅さんが語る、「100歳過ぎ生」

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1#
发表于 2015-5-9 19:53:55 | 只看该作者 回帖奖励 |倒序浏览 |阅读模式
103歳の美術家が語る、「100歳を過ぎて生きること」とは

DATE:2015.05.09 07:30 BOOKSTAND

ガジェット通信



 1913年生まれ、数えで今年103歳を迎えた、美術家・篠田桃紅さん。日中戦争、第二次世界大戦を経て、1956年には単身渡米。5歳より書に専念する日々を送るうち、次第に文字という決まりごとに窮屈さを覚えるようになった篠田さんは、独自の墨による抽象表現を模索しはじめます。

 篠田さんは自著『一〇三歳になってわかったこと』で、当時の想いをこう振り返ります。

「たとえば、川という字には、タテ三本の線を引くという決まりごとがあります。しかし、私は、川を三本ではなく、無数の線で表したくなったのです。あるいは長い一本の線で、川を表したい。
文字の決まりごとから離れて自由になりたい、新しいかたちを生み出したい、と私は希うようになり、墨による抽象表現という、自分の心のままを表現する、新しい分野を拓きました。幸いにも、私の作品は、ニューヨークで評価されて、世界にも少々広がりました」

 自由に女性が生きるということに、今よりも風当たりの強かった時代にあって、ひとり孤独に徹しながら生きてきた篠田さん。同書では、103歳を迎えたいま、芸術に徹した人生を振り返り、何を思うのか、人間や生と死についても語られていきます。

 歳を重ねていくことで、失われるものと得るもの。得たもののひとつとして、篠田さんは「自分の見る目の高さ」が年々あがっていること、つまり、ものごとを見る際の自分の目に変化が生まれてきたことを挙げます。

 同じものであっても、10年前の90代のときと現在とでは、見えてくるものが異なり、たとえばある人を思い起こしたときには、その人の違う面が新たに見えてくるようになってきたといいます。

 ものを見る目の高さが高くなったことで、達観して物事をとらえることができるようになったこと。それは自分自身を俯瞰する視点を得たことでもあり、「百歳を過ぎて生きることとはどういうことなのか。一つには、別の立場から客観視している自分と向き合うことなのかもしれません」と綴る篠田さん。

 しかし同時に、人間はいつまでたっても不思議な生き物であるともいいます。

「人というものが、どういうものであるか、わからないから、文学、芸術、哲学、さまざまな活動をして、人は模索しているのです。なんでこんなことをやるのだろう、ということを一生懸命にやっているのです」(同書より)

 今なお作品を生み出し続ける篠田さん。巻末には、篠田さんの作品を収蔵する美術館や公共施設等も記載されているので、その生き様を学ぶとともに、是非、作品の元にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
103歳の美術家は、いま何を思うのか

2#
发表于 2015-5-9 20:00:04 | 只看该作者
篠田桃紅
しのだ とうこう



篠田 桃紅は、日本の美術家。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。 日本の租借地だった関東州大連に生まれる。5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。 ウィキペディア
生年月日: 1913年3月28日 (102歳)
生まれ: 中華人民共和国 満州



篠田桃紅 - Wikipedia:

篠田 桃紅
(しのだ とうこう)
生誕        1913年3月28日(102歳)
著名な実績        絵画
版画
篠田 桃紅(しのだ とうこう、本名:篠田 満洲子、1913年(大正2年)3月28日 - )は、日本の美術家。映画監督の篠田正浩は従弟にあたる。
日本の租借地だった関東州大連に生まれる[1]。5歳頃から父に書の手ほどきを受ける。その後、女学校時代以外はほとんど独学で書を学ぶ。1950年から数年、書道芸術院に所属して前衛書の作家たちと交流を持つが、1956年に渡米。抽象表現主義絵画が全盛期の「ニューヨークで、作品を制作する。文字の決まり事を離れた新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。アメリカ滞在中、数回の個展を開き高い評価を得るが、乾いた気候が水墨に向かないと悟り、帰国。以後日本で制作し、各国で作品を発表している。
和紙に、墨・金箔・銀箔・金泥・銀泥・朱泥といった日本画の画材を用い、限られた色彩で多様な表情を生み出す。万葉集などを記した文字による制作も続けるが、墨象との線引きは難しい。近年はリトグラフも手掛けている。エッセイストとしての彼女のファンも多い。[要出典]2014年5月、沼津市役所特別応接室に1966年に納入した壁画「泉」が、30年以上存在が忘れられた状態から再発見されたことが報じられた[2]。2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が15万部を超えるベストセラーになる[3]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E7%94%B0%E6%A1%83%E7%B4%85



篠田桃紅-Google:

https://www.google.com/search?hl ... l=jp&authuser=0



篠田桃紅

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3#
发表于 2015-5-9 20:24:03 | 只看该作者
一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い

単行本 – 2015/4/8

篠田 桃紅  (著)

内容紹介
100歳を超えても、人生は自分のものにできる

100歳を超えたから見える世界がある。生きている限り、人生は未完成。
今も第一線で活躍している美術家・篠田桃紅が、時には優しく、時には厳しく人生の生き方、楽しみかたを伝授する。

第一章 100歳になってわかったこと
・百歳はこの世の治外法権
・古代の「人」は一人で立っていた
・いい加減はすばらしい
第二章 何歳からでも始められる
・頼らずに、自分の目で見る
・規則正しい毎日から自分を解放する
・1+1が10になる生き方
第三章 自分の心のままに生きる
・自分が一切である
・危険やトラブルを察知、上手に避ける
・あらゆる人に平等で美しい
第四章 昔も今も生かされている
・よき友は、自分のなかで生きている
・悩み苦しむ心を救った日本の文学
・唯我独尊に生きる
内容(「BOOK」データベースより)

単行本: 169ページ
出版社: 幻冬舎 (2015/4/8)
言語: 日本語
ISBN-10: 4344027531
ISBN-13: 978-4344027534
発売日: 2015/4/8
商品パッケージの寸法: 17.2 x 11.6 x 1.4 cm
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8 ... B4%85/dp/4344027531




       
篠田桃紅(しのだ とうこう)


                

       
略歴

  1913年旧満州・大連に生まれる。幼少から家庭で書の手ほどきを受け、次いで下野雪堂氏に師事する。戦後、本格的に創作活動を再開し、既成の書の形にとらわれない墨による新たな形を描き出し、独自の抽象芸術へと移行。1956年単身ニューヨークに渡り、創作活動に励む。全米をはじめとしてヨーロッパ各地で個展を開催。国際的に高い評価を受ける。帰国後も、レリーフや壁画などの建築物に関わる大作を手掛ける一方、版画や題字、随筆など多岐に渡って活動(サンカイビの店舗ウィンドウのロゴも篠田による文字)。 今日に至るまで、国内外で開かれた展覧会は数えきれない。 代表作は世界各地の美術館等に収蔵されている。昨年には、『Newsweek』10/26号の特集「世界が尊敬する日本人100」に選出された。

         




                
年 譜
         

       
年齢
経 歴  

       
1913     
3月28日、満州、大連に誕生。父親は東亜煙草株式会社の大連支店長。

        1914      1        父の転勤で東京に移る。

        1919      6        父の手解きによる書初めで、初めて筆と墨に触れる。

        1929      16        女学校の師である下野雪堂に書の個人指導を受け始める。

        1935      22        書を教え始める。

        1936      23        初めての書の個展。鳩居堂、銀座。

        1947      34        文字を書く作品以外に、書の枠を出た水墨による「抽象絵画」を描き始める。

        1955      42        ピエール・アレシンスキー来日。
映画〈日本の書〉の撮影の為、桃紅の製作現場を取材(1956年完成)

        1956      43        9月24日、渡米。ニューヨークに滞在。
岡田謙三氏夫妻、現地のアーティスト、画商らと交流。
58年までニューヨークを拠点に全米およびヨーロッパで個展を開催。

        1958      45        帰国。

        1960      47        この頃よりリトグラフ制作を始める。

        1961      48        第6回サンパウロ・ビエンナーレに招待出品。

        1974      61        東京芝の増上寺大本堂、ロビーの為に壁画を、道場の為に襖絵を制作。

        1977      64        ワシントン中米日本大使公邸の為に壁画を制作。

        1979      66        随筆集『墨いろ』、第27回エッセイスト・クラブ賞受賞。

        1992      79        回顧展「篠田桃紅 時のかたち」(岐阜県美術館)

        1993      80        御所、御食堂のために絵画を制作。

        1996      83        98年までシンガポール、東京、岐阜、ロンドン等各地で個展を開催。

        1999      86        ルクセンブルグ大公妃殿下のご訪問を受ける。
「東京文化会館」名称ロゴを制作。

        2002      89        『桃紅えほん』(世界文化社)刊行。

        2003      90        個展「篠田桃紅 朱よ」(原美術館、東京)皇后陛下行啓。

        2005      92        京都の迎賓館の為に絵画を制作。
東京のコンラッド・ホテルの為に絵画制作。
アートスペース・サンカイビで個展。

        2006      93        岐阜県美術館 関市立篠田桃紅美術空間 鍋屋バイテック会社ギャラリー共同企画 篠田桃紅芸術月間2006開催。
6月、アートスペース・サンカイビで個展。

        2007      94        日本橋三越本店、東京で個展。
アートスペース・サンカイビで個展。

        2008      95        フォーシーズンズホテル椿山荘 東京内 三越アートスペース、東京で個展。

        2009      96        6月、ギャラリー サンカイビで個展。




                 主要コレクション・壁画など

関市立篠田桃紅美術空間(岐阜県:常設)
オルブライト・ノックス美術館(ニューヨーク)
岐阜県美術館
グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)
国立博物館東洋美術館(ベルリン)
シンシナティ美術館
大英博物館(ロンドン)
東京国立近代美術館
富山県立近代美術館
ハーグ市立美術館
ブルックリン美術館
モルガン・スタンレー・ディーン・ウィッター
皇居(東京)
駐仏日本大使館(フランス)
駐米日本大使公邸(ワシントン)
日本文化館(ローマ)
京都迎賓館
国立屋内競技場(東京)
コンラッド東京
増上寺(東京)
愛知万国博覧会イタリア館題字 他多数

         

        著書

「墨いろ」(日本エッセイストクラブ賞受賞)・「朱泥抄」・「その日の墨」・「おもいのほかの」・「きのうのゆくえ」・「墨を読む」・「桃紅―私というひとり」・「桃紅えほん」




1日寝ていることもあります。 篠田桃紅の言葉

タイトルは美術家の篠田桃紅さんの言葉である。続いて、(100歳で現役であることに関連して)長生きの秘訣なとありません、と続く。

ひとり浮草日記 いったい私どうなるのん?
2013年 2月 17日 日曜日

http://blog.buttonlover.jp/201302/article_17.html

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